理系国語のすゝめ

● 人生の中で書く文章

 

普通の人が一生に書く文章の量は、意外に少ない。FD(フロッピーディスク)で、

数十枚の量である。しかも、そのほとんどが、作家や詩人を除けば、創作的で

自由な作文やというより、誰かに事実や意見を伝える説明的な文章である。

しかし、小中学校の国語教育では、情緒的で個性豊かな文章を書くことに比重が

置かれている。それに比べ、説明的な文章を書く訓練の場は、不足がちだと思う。

 

ところが、大学生になると、試験の答案、課題のレポート、研究論文、報告書、

企画書、エントリーシートなど、説明的な文章のオンパレードである。残念ながら、

多くの学生の文章を読むと、がっかり感が半端ない。しかし、学生が悪いわけでは

ないように思う。それまでに、そういう教育を余り受けていないだけなのだ。

 

ちょっと皮肉を込めて、そういう説明的文章に重点を置いた国語を、

理系国語とか情報系国語とか読んでおく。実際には、文系でも必要な分野で

ある。そもそも文系理系という分け方が変なので、業務国語というのが

いいのかな。

 

● 理系国語の特徴

 

・ 効果的で効率的な情報伝達のための技術

・ 客観的で論理的な文章表現

・ 研究者や技術者が習得すべき技術

   (理系に限るわけではない)

・ 本質的な部分は共通、個々の言語に依存しない

 

文学的才能や芸術的センスは特に必要ない

・ 誰でも訓練すれば、ある程度は身に付く

 

・ ビジネスマンの業務にも必要となる

・ 家族や友人との会話や手紙には使わない

   (変な人・冷たい人と思われるかも)

 

 

 

高校までのクラシック音楽との出会い

● はじめに

 

とある経緯でブログを始めることになったのだが、練習がてら、最初は気軽な

話題ということで。趣味の話として、高校までのクラシック音楽との出会いに

ついてでも、適当に書いてみる。

 

● 小中学校での音楽鑑賞

 

クラシック音楽は、小学校の音楽の時間に聴いて以来、何となく好きだった。

近所に住む叔母の家のピアノを我流で弾いてみたりで、中高でも最も馴染める

ジャンルの音楽であった。といっても、当時は、FMや市販テープで、

いわゆるポピュラー系の有名曲を聴くくらいだった。それでも、ドビュッシー

ピアノ曲「版画」「映像」の不思議な響き、モーツァルトの交響曲や器楽曲の

清澄さに惹かれていた。

 

● 高校の音楽の時間に歌劇「カルメン」を聴いて

 

高校の音楽で、何回かの授業に分けて、ビゼーの歌劇「カルメン」を全曲通して

聴く機会があり、大きな衝撃を受けた。特に、第2楽章の「密輸団の五重唱」の

フランス語ならではの短い歌詞の交錯の面白さ、あんなに愛を訴えるホセを

あっさりあしらうカルメンの薄情さと相手に付け込む魔性、自由を謳う

ジプシーの合唱と、音楽と劇の見事な流れに感服した。いや純粋に楽しかった。

 

とはいうものの、普段はプロ野球のラジオ中継(もちろん広島カープ)を

聞きながら、受験勉強をするというのが日課だったので、FMもたまにしか

聞かず、知っている曲の範囲も余り広がらなかった。

 

● 自分にとってのシベリウスの発見

 

しかし、高校を卒業する頃、家にあった数少ないクラシック音楽のレコードに、

なぜか北欧のオムニバスがあるのを見つけ、シベリウスの「フィンランディア」が

目に止まって、耳に残った。ああ、自分にぴったりの作曲家を見つけたという

感じがした。後に、大学に入ってからだが、交響曲第2番を聴いて、間違いないと

確信を持った。今でもそうである。

 

そして、大学に進学し、京都で下宿をするようになってから、膨大な暇と

お金の多少の自由を手に、様々な交流もあり、徐々にクラシック音楽に

はまっていくことになる。